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IT、AI化が進む時代だから考える「不便益」

■タッチパネルで不便になる人々

 コロナ禍で一気に導入されたのがオンラインツールとタブレット端末である。小中学校ではGIGA SCHOOLの名の下にタブレットが計画の前倒しで配布され、いまや授業の中心はこのタブレットを軸に構成されている。
 タブレットは素晴らしい。授業に必要な解説動画やドリル、問題集のアプリをダウンロードすればいいので、先生も授業の準備を必要最低限で済ませることができ、対話やディスカッション、創作などのより創造的な時間に振り分けることができる。
 生徒は興味をもったことに自発的に取り組むことができ、検索をかければ、知りたい情報がどんどん入って来る。
 タブレット端末が広まったのは教育現場だけではない。ファミレスや居酒屋などの飲食店、病院やホテル、タクシーなどでも一般化している。いまやサービス業のデファクトスタンダードになっているのだ。
 タブレット端末は、ご承知のようにタッチパネルが基本だ。文字や数字をいちいちキーボードから打ち込む必要がない。
 ゆえに小さいこどもから高齢者まで画面から直感的に指示を出せることが特長となっている。世間的には「ユーザーインターフェースに優れている」という評価となる。
 しかし、この優れたユーザーインターフェースを持つタッチパネル、万能ではない。むしろ、逆に不便を強いられている人たちがいるのだ。とくに問題となっているのが、視覚障がい者の人たちだ。
 触れる場所がすべて平面であるため、対応ができないのである。入力を店の人や他人に依頼することも可能だ。またスーパーやコンビニでは読み上げ機能がついているレジもある。ただそれでもバーコードの読み取りなどは難しい上、決済でクレジットカードの暗証番号が要求されることもあるため、商品やサービスの購入ができない事態もある。
 デジタル社会の進展が、新たなデジタル・デバイドを生んでいるのである。視覚障がい者団体は「いままでできていたことができなくなる。自立を阻む」と切実な声をあげている。

■高齢化によって誰もが視覚障がい者になる可能性が……

 一般社団法人「With Blind」が厚生労働省の調査などから割り出した日本の視覚障がい者数は約31万人(2020年)だという。この数字は、他の障がいとのダブりもあり最大7万人ほどずれが生じている可能性があるという。ただいずれにしろ、この数字は増える可能性が高い。というのも70歳以上が6割近く占めるからである。その下の60〜69歳が約2割、40歳から59歳までが2割弱となり、年を取ればとるほど視覚障がい者になる率が高くなる。
 視覚障がい者というと生まれつき、あるいは成年になって事故や病気でなってしまうと思いがちだが、その多くが高齢者であることからわかるように、長寿になればその可能性が高まって行くのである。視覚障がいの認定を受けなくても、一般に加齢とともに視力は弱くなり、白内障、緑内障、加齢黄斑変性などを発症するリスクがぐっと高まる。病状が進めば失明することもあるし、失明まではいかずとも、いわゆる「ロービジョン」という状態になる可能性は上がっていく。つまり長生きすればするほど、タッチパネルの利便性が不便性に変わる率が高まっていくのである。
 視覚障がい者に対してのタッチパネルのアクセシビリティの改善はさまざまな企業や研究機関が取り組んでいるが、そばに点字表示板や凹凸で表現した画面案内板などを置く以外、まだ「これだ!」という決定打はないようだ。

■「便利」のためのテクノロジーは、果たして「善」なのか

 ここで考えたいのは、社会のマイノリティに対して包摂性というイマドキの問題だけでなく、そもそも利便性をもとめたテクノロジーの進展は果たして、人間にとって幸福をもたらすのか、ということである。
 タッチパネルという技術の登場と進展が世の中全体からすれば多くの人の利便性を高めたことは間違いないだろう。しかし、一方でその利便性が仇になる人もいる。
 もっと言えば、世の中の人が「便利」の恩恵を受けているのかというと、その便利と引き換えに失っている便利もあるのではないかということだ。
 そこで昨今話題になっているのが「不便益」という概念である。
 「不便益」とは、英語では「benefit of inconvenience」、不便による便益のこと。つまり不便だからこそ得られる便益である。字面だけで見るとどこかひねくれた感じを受けるが、学問として研究の対象となっている。
 京都先端科学大学工学部の川上浩司教授は、その第一人者のひとりで、1990年代末からこの「不便益」をテーマに研究を重ねてきた。

■セル生産方式で生まれた、働く人の「喜び」「モチベーション」

 どんなことが不便益となるのだろうか。もともとシステム工学が専門の川上教授らによれば、工場での生産方式の1つ、「セル生産方式」がそれにあたるという。
 セル生産方式は1人から数人の工員がコピー機や洗濯機などを1台丸ごと組み立てる生産方式で、「デジタル屋台」などとも称される。
 本来こうした組み立て系のものづくりは、作業工程を分割し、その工程だけに習熟した人をアサインするほうが、全体の生産性が上がることが知られている。いわゆるフォーディズムという考え方だ。自動車メーカーのフォードが自動車を大量生産するために創出した生産方法であることからこう呼ばれるようになった。このフォーディズムによる生産方式は現代においても引き継がれ、トヨタのトヨタ生産方式(TPS)もこの考え方に乗って生み出されている。
 対してセル生産方式は、生産性は若干落ちるものの、働く人がものづくりの喜びや充実感を感じることができ、モチベーションアップ、技能アップにつながり、チームワークも継続的に高まっていった。
 およそメーカーにとっては生産現場の生産性は、安全性の次に優先される価値だが、働き方改革が世の中の大きなテーマとなっている今、生産性をいかに落とさずに働きがいやモチベーションアップにつなげるかに焦点が当たるようになっている。

■電子レンジで「おまかせ」ボタンを押さない

 川上教授は「不便にすることで、常に益があるとは限らない」と話すが、一方で「そう感じる場合は確かにあって、その理由はよくわかっていない」と語る。
 だから、なにかの製品やシステムを設計するときには、不便にすることを考えたアプローチが必要なのではないかというのである。
 川上教授が例を挙げるのが、ほとんどの家庭にある電子レンジだ。
 電子レンジは家庭の調理、あるいは飲食店の調理場やコンビニなどでは欠かせないものとなってる。出力のワット数と時間を設定してボタンを押せば、ほぼできたての料理状態となって現れる。それどころかワット数や時間を設定せずとも「おまかせ」ボタンを押せば、勝手に最適な温度と時間で温めてくれるようになっている。もしくはメニューから「お弁当」「冷凍肉解凍」「牛乳」など料理や具材を選んで、ボタンを押すだけで最高の状態で料理を味わうことも可能だ。
 しかし時間を設定するときにワット数を誤ってしまったりすると、却って想像以上に美味しい状態になる可能性もある。そんな“セレンディップ”な出会いは、「1発ボタン」に頼っている限り、起こらなくなる。
 いつもより1手間、2手間多くかけることで、より高い便益を得る可能性が俄然高まるのである。

■スポーツは「不便」だらけだから、面白い

 むろんなんでもかんでも生産性を落としたり、不便にすることが「便益」につながるわけではない。
 だが、不便だからこそ便益が増大することはたくさんある。およそのスポーツはその類だろう。ルールという「不便」の縛りがあるからこそ、競技としての面白さが出て来る。スポーツにはルールという一見公平な「不便」がドラマを生むことが多々ある。ゴルフのメジャー大会で、たまたま打った瞬間に突風が吹いたからといって打ち直しができるわけではないし、バドミントンの世界大会で前日に足の指をけがしたからといって、回復を待って試合をセットしてくれるわけではない。 
 そういった不運もふくめてのスポーツであり、その不運が盛り込まれているからこそ、選手は次のチャンスに期待をし、その時までにさらに技やメンタルを磨くのである。そこで磨かれた「便益」は本人の技能を高め、その技能はそれを鑑賞するファンを魅了する。
 あるいは、映画などもこれほど自宅で鑑賞できる配信サービスが普及しているのに、映画館の観客数が減らないのは、“わざわざ”映画館に足を運ぶことによって、感動が増すということもあるだろう。

■資本主義の原理と不便の視点で、QOLを下げる「便利」をなくす

 スポーツや映画は、興味のない人にとってはどうでもいい話かもしれない。しかし前述したタッチパネルの例は、確実に一部の罪のない人のQOLを下げる結果を招いている。こうした問題の解決は、影響を受ける人の数、すなわち市場の規模に影響される。困っている人の数が少なければ、解決は後回しにされるか、場合によっては無視される。日本は民主主義国家であり、資本主義国家である。民主主義は数の論理で決まる。つまり数が多いほど、有利に働く。
 資本主義社会では資本の増大を目的として制度設計がなされている。つまり投資した以上にリターンがあることが優先される。
 数の論理で言えばマイノリティの課題は、後回しになりやすい。だが資本主義の視点からみていくと、必ずしもマイノリティだから後回しになるというものではないと考えられる。つまりその解決が大きな便益を生むのではあれば、解決の可能性が高まるからだ。
 障がい者の不便をリターンの大小で語ることに眉をひそめる人もいるだろう。しかし視覚障がい者の例で見たように、高齢社会では誰もが視覚障がい者になる可能性が高まるのである。それは資本主義の原理からすれば、市場が広がることであり、市場が広がれば、参入者が増え、新たな便益が生まれやすくなることにつながる。
 あるいは障がい者の方々が社会活動に参加しやすくなれば、社会の至る所で新しい価値や便益を生み出す可能性が高まる。
 誤解を承知で言えば、老化とは何らかの機能が衰えていくことであり、それが一定のボーダーを超えれば、障がい者となるのである。
 決してITやAIの進化を腐くさすつもりはないが、一見生活を便利にしてくれるテクノロジーが逆に生活を不便にしてしまっているタッチパネルの例は、不便益という視点で捉え直す必要がある。
 もしかしたら我々はテクノロジードリブンの「便利教」の盲目的な信者になってはいまいか。

参考サイト

●東京新聞 ● The Asahi Shinbun GLOBE + ●不便益システム研究所 ●宣伝会議 ● PRESIDENT ONLINE ● Spotlite ● With blind●厚生労働省 ●電通 ●中外製薬 ●ボシュロム・ジャパン ●ユニバーサルマナー検定 ほか

ビジネスシンカーとは:日常生活の中で、ふと入ってきて耳や頭から離れなくなった言葉や現象、ずっと抱いてきた疑問などについて、50種以上のメディアに関わってきたライターが、多角的視点で解き明かすビジネスコラム

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