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経営者視点でみる 業界トップ3の各社の企業風土と戦略の違いがもたらすこと

 日本企業の株価が上昇し、34年ぶりに高値を更新した。世間では30年にわたるデフレから抜け出したという声も聞こえている。もともと日本は産業の底力のある国である。日本は一国のなかに数多くの種の産業が展開されている国として知られる。ハーバード大学のグロースラボが作成する「世界の複雑性・世界ランキング」によれば、日本は長年トップを走り続けているのだ。つまり国あたりでは世界一産業数の多い国なのである。
 2021年6月1日時点で日本にある企業数は約368万社。そのすべてを知っている人は誰もいないと思うが、今後さまざまなビジネスを展開していくうえで、日本にどんな業界があり、どんな企業が活躍しているのかを知ることは極めて重要だ。
 今回は日頃目にしている業界と、逆にあまり知られていない業界のトップ3(プラス数社)の企業文化、経営戦略の違いについて見ていく。各業界の雄とされる企業にはどんな企業があり、どのような経営戦略でそのポジションを獲得したのか。そこにはどんな環境や企業文化があるのかを探ってみる。

1. 自動車 
 —日本の産業を牽引。ものづくり日本の代名詞、自動車産業

<2022年販売台数ランク(国内/世界)>
①トヨタ─140万台/ 1048万台
②スズキ─62万台/ 296万台
③ダイハツ─60万台/ 104万台
④ホンダ─56万台/ 381万台
⑤日産自動車─45万台/ 322万台

 世界的にはマグニフィセント・セブンと言われるITの巨人たちが世界のものづくり産業を牽引している昨今だが、日本においては、戦後のものづくりを牽引してきた産業は自動車産業であることは誰もが認めることだろう。
 世界販売台数1048万台、売上高37兆1542億円のトヨタ自動車をはじめ、ホンダ、日産、スズキなど数兆円から数十兆円規模の売上高を誇る企業がひしめいている。産業の裾野も長大である。経済産業省の「2021年度経済産業センサス」によれば、自動車関連産業の国内出荷額は53.2兆円で全製造業の17.6%を占めている。部品関係だけでも30.6兆円にのぼる。完成品としての自動車が21.9兆円だ。

自動車業界だけでなく、
日本のあらゆる産業を
牽引するトヨタ

 自動車メーカーのなかでいち早く世界販売台数1000万台を達成したトヨタ自動車。関係する部品・材料関連の下請企業は全国に3万社あるとされ、関わる従業員は135万人に及ぶ。その影響は計り知れない。トヨタを今日のトヨタたらしめたのは、世界語にもなった「カイゼン」と余分な在庫を極力減らす「ジャスト・イン・タイム(JIT:通称 ジット)」である。
 徹底したカイゼン力は、「乾いた雑巾を絞る」ともいわれ、生産現場からあらゆるムダを削ぎ落とし、そこから生み出された豊富な資金力と時間を背景に、市場の網の目を埋め尽くすような多様な商品(自動車)を生み出してきた。
 トヨタは、部品や素材のムダはもちろん、スペースや時間についても創業間もない頃から取り組んでおり、1937年に最初の自社工場を建てた際には、2代目社長の豊田喜一郎さん自身が10センチの厚さに及ぶマニュアルをつくり、配布している。これが後のJITの原点となった。
 カイゼンとJITはトヨタが磨き上げてきたTPS=TOYOTA PRODUCTIONSYSTEM(トヨタ生産方式)の両輪で、その影響力は日本の機械系メーカーの8割から9割に及んでいる。日本のものづくりの教祖と言っても過言ではない。
 またトヨタ自動車にマッチした部品を新車の開発段階から一緒に考える「ケイレツ」という強固なサプラチェーンをつくり、その関係を強化してきたこともトヨタの強みだと考えられている。ケイレツ会社の開発力も高く、電装系の部品を開発する「デンソー」は6兆4013億円、変速機などを手がける「アイシン」は4兆4028億円、車体やエンジンなどを手がけるトヨタ自動車の源流である「豊田自動織機」が3兆3798億円など、他の自動車メーカーの売上高に並ぶ大企業に成長している。逆に言えば、開発の早い段階からサプライヤーと協力することで、サプライヤー自身の技術力が磨かれてきた。
 またトヨタは、名前にトヨタの名を残しているように創業家の豊田一族が経営層につくことが多く、持ち株比率こそ低いものの、その影響力は絶大だ。いわゆるファミリー企業であるが、決してマイナスではなく、創業家の文化を引き継いだ結束力の高いグローバル企業となっていることが特徴だ。
 EV戦略ではテスラなどの新興勢力、欧州勢、中国勢からも遅れをとっているとされるが、主力市場のアメリカでは、ハイブリッド車が絶好調だ。米国政府がガソリン車、ハイブリッド車の規制を強化しても、いまのところ給電インフラが不十分なことや、ガソリン車の給油に比べ給電時間が長いこと、さらにEV価格が2割から3割高いことなどが背景にある。トヨタは2030年までにEV関連に5兆円を投資するとしているが、EVシフトをにらみながら、ハイブリッド、さらにはインフラが整ってきた水素を使った自動車など、全方位で対策を考えているようだ。
 ただ死角はある。今年に入ってから続いた不正だ。傘下のダイハツや豊田自動織機などのエンジン不正認証は、ブランド価値と信頼を大きく損ねた。とくにダイハツは国内カーメーカーでも3位につけるほど健闘してきただけに、その影響が懸念される。いかに有名大企業であっても、組織を支え動かしているのは各現場を担当する一人ひとりであることを、改めて認識させてくれた。
 トヨタは日本のものづくり、人づくりのバロメーターであることは間違いない。機械系、アッセンブリと呼ばれる組み立て系企業でTPSの影響を受けない企業はほとんどないと言ったが、実は製造業だけでなく、農業やサービス業でもTPSを導入し、生産性を向上させた企業は枚挙にいとまがない。たとえば、牛丼で知られる「吉野家」もその1つ。同社の店舗は、レシピ通りの牛丼をいかに精確に素早くお客様の前に届けるかをTPSの原理を応用してつくられている。カウンターに立つ店員の動きには一切の無駄がないのである。もっと言えば、ネット通販の巨人、アマゾンもTPSをもとにした在庫管理を導入してから業績が大きく改善されたのである。
 あらゆる産業に影響を与えてきたトヨタだからこそ、立て続けに発覚した不祥事に世間は落胆させられたのである。

大メーカーが攻めない車種、地域を攻める
グローバルプレーヤー、スズキ

 一方国内で2位につけたスズキ。意外だと思われる方も多いかもしれない。差があるとは言え、自動車メーカー御三家と言えば、トヨタ、日産、ホンダが指定席だったからだ。しかし若者の車離れ、賃金ベアの停滞、低燃費、エコ志向などの社会環境の変化で俄然軽自動車のニーズが高まり、トヨタの背中についたのは、軽自動車を主力とするスズキとなった。
 過去30年で平均年収は1.1倍程度のアップに対し、新車の平均価格は1.5倍から1.7倍程度まで値上がりしている。軽の価格上昇も同じだが、価格に比べ燃費、安全装備や乗り心地が向上しており、軽で十分と考える層が増えたことが大きいとされる。実際国内4位となったホンダの販売台数の半分は軽が占めている。
 スズキは長年、同じ軽自動車主体のメーカーダイハツと苛烈なシェア争いを続けてきたが、新興国のインドに早々と進出して現地企業と合弁をつくり、現地ニーズにマッチした車作りを徹底。現在はインドでトップのシェア、41.3%を占めるなど、身軽でスピーディ、そして得意な分野に資源を集中する経営が信条だ。スズキで長年経営の指揮を執ってきた鈴木修会長は、「欧米に進出したかったが、その体力がなかった」と語っている。だがその先見性と市場に見合ったムダを省いたコンパクトなクルマづくりは、他社の見本だ。
 車種では軽・小型車に絞り込み、地域ではシェア4割を占めるインドや、パキスタン、ミャンマー、ラオスなどの東南アジア、コロンビア、エクアドルなどの中南米、ハンガリー、エジプトなどの東欧、中東など、他社が出ていかない地域にいち早く飛び出して、限定的なマーケティングポジションに資源を集中させている。いわゆるランチェスターとブルーオーシャンをかけ合わせたような戦略で業績を伸ばしてきた。軽市場における圧倒的な優位性と、他社に先駆けた海外展開経験から、国内外で商品のOEM提供を行っていることもスズキの特徴だ。
 スズキは、軽乗用車という利ざやの少ない商品で稼ぐために、ムダを省くことについてはトヨタ以上に徹底しているところがある。たとえば工場には照明具をつけず、代わりに天窓をつけて自然光を明かりの代わりにしている。それは鈴木修さんの「『死に金は一銭たりとも使わない』というのが私のポリシー」という言葉にも現れている。
 「工場内ではなんでもかんでもコンベヤー化しようとしたり、自動化しようとしたりする傾向があります。その多くは、大いなる無駄です。わざわざコンベヤーを設置しなくても、ちょっとラインを傾けて自然と重力で動くようにすればいい。電気やガスといったエネルギーにはお金がかかりますが、重力はタダなのです」(鈴木修さん)
 その一方で顧客に対する姿勢は一貫しており、2016年には自動車メーカー各社の燃費の不正申告が話題となったが、そのなかで実測データが申請データを上回るなど、軽のもつ経済性に真摯に向き合った姿がわかり、唯一株価を上昇させている。ただ、海外市場での存在感はまだまだ小さく、スズキにとってはEVや自動運転など技術進化の大きな流れについていくための技術開発につぎ込む大きな投資が悩みの種。スズキはこれまでもGMやフォルクスワーゲンなど巨大メーカーと組んだ経験もあるが、いずれも大きな成果を上げられず、解消している。鈴木さんは「提携はこりごり」と語っていたが、2017年にトヨタと資本提携。トヨタが持つ自動運転などの次世代技術を入手できた。その結果自社資源を持ち前の小型車をつくる生産性と、新興国マーケティング力強化に振り分けることができ、それが国内2位の地位の原動力となったことは間違いないだろう。

軽ナンバーワンのダイハツ
不祥事からの復活はどこまで

 2位のスズキに肉薄したのが、トヨタ子会社のダイハツである。謳い文句は「軽ナンバーワン」。そのセリフ通り、発売している車種8種のうち6種が軽である。ダイハツの歴史は古く、1907年に大阪高等工業学校(現在の大阪大学)の学者や技術者が集まってエンジンを製造する「発動機製造株式会社」を立ち上げたことに遡る。当初は発電や船舶、鉄道向けだったが、その後、物流ニーズの高まりにより、オートバイ、小型三輪自動車の製造に乗り出し、大阪の「大」と発動機の「発」を組み合わせた「ダイハツ」の愛称を冠した自動三輪車を発売すると、これが大ヒット。以後自動三輪車やスモールカーなどの製造開発を展開。戦後の1951年には社名を現在の「ダイハツ工業株式会社」に変更した。
 ダイハツはその後訪れたモータリゼーションの波に乗った。ただダイハツはあくまで小型車、軽自動車にこだわった開発製造を続けていった。とくに自動三輪車にこだわり、当時のダイハツの代名詞となる二人乗りの三輪トラック「ミゼット」を発表すると爆発的なヒットとなった。しかし、1960年代に入ると貿易の自由化が進み、海外メーカーが本格的に日本市場に参入、国内メーカーの統合が語られるようになった。ダイハツはこの状況下でトヨタ系列のカーメーカーとなることを選択、トヨタ車のOEM生産などを展開しながら、日本独自のセグメントである軽のラインナップを強化していった。トヨタとの資本提携の歴史は古いが、完全子会社になったのは2016年と割と最近である。
 海外マーケットでの奮闘ぶりが目立つスズキに対して、ダイハツは国内マーケット中心と見られがちだが、1990年代には東南アジア進出を果たしている。92年にインドネシア、94年にマレーシアに現地法人を設立、1000ccクラスの小型車をトヨタと共同で開発、製造販売している。

夢を乗せるビークルを
作り続けるホンダ

 トップ3から外れるが、ダイハツが実質トヨタであることを鑑みると、国内4位のホンダが総合3位の位置となる。ホンダはもともと自動車の修理工場で働いた叩き上げのエンジニア、本田宗一郎さんが二輪メーカーとして創業した企業。当初より二輪のみならず、自動車から航空機までを手がける総合モービルメーカーを目指していた。それも他企業との連携をとらず、自前主義の開発を旨としていた。
 ホンダは戦後、およそ200社あったとされる二輪ブームの際にイギリスの伝統的二輪レース、「マン島TTレース」を自社のオートバイで制すと一頭地を抜け、世界の二輪メーカーの足がかりをつかむ。その一方で1960年代に自動車産業に進出、「日本は自動車メーカーは多すぎる」として統合を進める国に真っ向から反発、独自のエンジン開発を進め、1972年に当時世界で最も環境基準が厳しいとされるアメリカのマスキー法を、自社開発したCVCCエンジンでクリアした。以降、ホンダは環境先進企業としての取り組みを加速させ、1990年代には社員の家族を含めたCO2削減の取り組みを展開している。
 ホンダがこうした革新的な技術を生み出している仕組みとしては、メーカーとしてのホンダと、技術開発のホンダを別会社にしているところにある。新車や新機種はホンダの別企業となる株式会社本田技術研究所が開発を担い、そこで開発された設計書をホンダが買って量産するというシステムとなっている。歴代の社長はこの技術研究所のトップだった人が多い。
 ホンダは二輪では世界で圧倒的なシェアを占めているが、進出にあたってはまずアメリカ市場をターゲットとし、自動車に関してもそうで、現在も北米が売上の5割を占めている。これはトヨタのような世界中に生産拠点を持てないこともあるが、本田宗一郎さんが当初より「二輪や自動車を海外で売るなら、まずモータリゼーションの先進国であるアメリカで勝負を挑みたい」という思いが強かったからと言われている。このアメリカ進出については、当時市場調査をした後の副社長となる川島喜八郎さんが、「東南アジアなら売れる」と進言したところ、「アメリカで売れないとホンダの将来はない」という本田さんの一言で決まったという。このエピソードは大学の経営学の講義としてもよく使われ、成長企業の戦略は顕在化している市場性と必ずしも一致しないという例として語られている。
 ホンダはCMに「夢」「ドリーム」といった言葉をよく使っている。それは二輪や自動車というカテゴリーではなく、人間の夢や思いに技術で応える会社であることのメッセージだからだ。その夢に対する思いは、二足歩行ロボットのアシモや、ジェット機をエンジンから機体までゼロから設計し、量産し、販売にこぎつけたこと。あるいは近年ではスマートハウスの独自システムをつくり、家庭用燃料電池、コジェネレーションシステムを販売するなど、二輪、自動車以外の分野に手を広げていることでも証明される。
 ライバルのトヨタもトヨタホームなど培ってきた技術を活かし、自動車以外の分野にも進出しているが、経営資源を自動車づくりとその環境整備に集中させているところに違いがある。

2. 工作機械
 —ものづくり日本を支えてきた「ものづくり機械のための機械」メーカー

<2022年度売上ランク(総合メーカー)>
①ファナック─8519億円
②DMG森精機─4747億円
③ヤマザキマザック─(非公開)
④牧野フライス製作所─2279億円
⑤オークマ─2276億円

 マシニングセンタ(加工目的に合わせ自動工具交換機能のついた多機能加工機械)、NC旋盤(数値制御加工旋盤)などの工作機械は、マザーマシンとも呼ばれ、ものづくり日本の技術力を象徴する機械である。そのマザーマシンをつくる世界的メーカーは日本にはたくさんある。
 とくに「ヤマザキマザック」、「オークマ」、「DMG森精機」はいずれも愛知県に本社を置く会社で、工作機械の「BIG3」とも呼ばれている。

抜群の収益力で工場の全自動化を支援する機械をつくる
富士通の元子会社、ファナック

 どこからでも目に付く鮮やかな黄色がコーポレートカラーの「ファナック」。日本と世界のものづくり産業を支える企業の1つで、さまざまな工作機械を製造しているメーカーとして知られるが、産業用ロボットメーカーの色が強い。もともと富士通の子会社で、独立して大きくなった。その富士通は富士電機から独立している。つまり富士通は親、富士電機は祖父母の関係になる。産業用ロボットメーカーの印象が強いため、産業用ロボットのカテゴリに分類されがちだが、売上自体比率は工作機械のほうが高く、産業用ロボットは3分の1程度。1956年に日本の民間企業としては初となるNC(数値制御加工機)とサーボ機構の開発に成功して以来、一貫して工場の自動化を進めてきた。72年に富士通から独立。74年にロボットを自社開発して自社工場に導入すると、順次省力化を進め、その効果を確認。77年にロボットの量産出荷に踏み出す。
 ファナックの強みはもともとエレクトロニクスメーカーであった富士通の1部門であったこと。つまり機械系(メカトロ系)と電子系(エレクトロニクス系)の技術を最初から持っていたため、機械を電子制御するロボット開発において優位に働いたことだ。海外展開も早くから始めているが、シーメンスなど有力会社と提携を組んでいったことも特徴だ。
 またファナックの場合、同じ工作機械メーカーでありながら、工作機械向けの製品をつくるメーカーであることも特筆すべき点。主力商品であるコンピュータNCマシン(CNC)は日本の工作機械メーカーの6割に供給し、ものづくり機械の土台を支えている。近年は積極的に工場建設を進め、2016年に最新工場を栃木県で稼働させ、さらに茨城県でも新工場を建設している。“工場の省力化を進めること”が創業以来のファナックの経営目的なので、いちはやく限りなく無人化に近い工場を展開している。このように産業用ロボットやマザーマシンのマザーマシンという独自の技術と市場を持つファナックは、自社技術の開発がそのまま新市場開発につながり、高い利益率を生み出している。その利益率はメーカーでありながらいっときは40%前後を維持していた。しかしながら近年は、20%台まで低下し、「黄色の最強軍団も普通の会社になった」と言われることが増えている。背景にはスマホ特需で旺盛な引き合いがあった主力の小型CNC工作機の需要が落ち込んだことや、ライバルメーカーとの競合が激しくなったことがある。
 ファナックはその独自の鮮明なコーポレートカラーから窺い知れるように個性の強い企業で、メディアや投資家からの問い合わせに回答しない時期もあった。2011年にはホームページを閉鎖していた時期もある。
 ファナックの本社は山梨県の忍野村にあり、周囲にはこれといった盛り場やレジャー施設もないため、福利厚生施設が充実していることでも知られる。テニス場や野球場、天然温泉施設、社員専用の居酒屋を整えている。もちろん寮もある。どこか孤高の技術集団の雰囲気を漂わせている。

繊維機械メーカーから転身、
ドイツのDMGと組んで
世界ネットワークを築くDMG森精機

BIG3の1つの「DMG森精機」は、近年ドイツの世界大手工作機械メーカー、DMGを森精機がTOBで買い付けて統合、世界最大手の工作機械メーカーとなった。統合をしかけた森精機は1958年に繊維機械メーカーから工作機械に転じた会社で、とくにNC旋盤などの開発に注力し、存在感を強めていった。グローバル化に先んじていたヤマザキマザックに対しては、ドイツの工作機械メーカーと組むことで、そのネットワークを活かし、日米欧中の世界4極体制を築いている。 DMGと組んでからの森精機はその融合についてメディアなどではすんなり進んでいないような報道もあったが、ヨーロッパのものづくり大国ドイツの企業と組んだことは非常に意義のあることだったようだ。ドイツでは国を挙げてものづくりのデジタル化とネットワーク化を深く進める「インダストリー 4.0」で先行したことで知られる。たとえば、ある工場で部品が足りなくなった時には、現場の担当者が日々の作業量や在庫を確認して発注したりするのが常だったが、インダストリー 4.0の世界ではセンサーが在庫の欠品を感知し、自動的に他の工場やサプライヤーなどに発注をかけるシステムになっている。世界中に複数の生産拠点を持つ同社にとってはこうしたインダストリー4.0のメリットを享受でき、高い競争力につなげることができたのだ。当然デジタル化にも対応し、5軸加工や複合加工機も積極的に開発している。また世界4極体制をとることで、地域間の給与格差を均す取り組みも行っており、2023年度の新卒者の初任給を大幅に引き上げ、高卒者が月額239,610円から280,000円に、博士号取得者では月額363,490円から475,000円にアップさせている。

いち早く海外展開を図った
元製畳機械メーカー、
ヤマザキマザック

 BIG3の一角、ヤマザキマザックは非上場で業績を公開していないが、海外進出も早く、先進の技術を盛り込んだ工作機械のグローバルプレーヤーの代表。最大手の1つと言われている。現在約80%以上が海外での売上だ。もともとは1919年に畳を織り上げる製畳機械をつくる会社として誕生した山崎鉄工所が母体で、その後フライス盤やロール旋盤など「機械の機械」をつくる製品を増やしていく。戦後の1961
年に海外輸出を始め、翌年にアメリカに輸出すると、68年にニューヨークに現地法人を設立、以後旧西ドイツやベルギーなどに駐在所を置き、海外で存在感を高めていった。74年にはアメリカで現地生産を開始し、以後イギリスやシンガポールにも生産拠点を置いた。現在は世界5ヵ所の生産拠点から製品を提供している。
 ヤマザキマザックは技術革新でも先行しており、60年代後半には、いまや量産工場にはどこにでもあるNC旋盤機やマシニングセンタなどを自社開発している。コンピュータ制御のCNC旋盤機や複合加工機はヤマザキマザックが世界に先駆けて開発した。また最近は金属積層造形と従来の複合加工ができる「ハイブリッド複合加工機」などの革新的な機械を開発している。さらに開発して売るだけでなく、顧客企業とのライフサイクルコストを考えたメンテナンスなどのサービスを拡充するソリューションビジネスにシフトしている。
 創業者の山崎照幸さんは、美術工芸品に造詣が深く、自ら集めたコレクションをもとに、ヤマザキマザック美術館を2010年に開館させている。「ないものはつくる」文化で技術力を磨く、元きしめん製造機メーカー、オークマ
 もう1つの雄、オークマは、もともとはきしめん製造機をつくっていた会社。従来の旋盤では麺を裁断する刃棒という部品を使った加工だったが、満足いく精度が得られなかったため、刃棒がぴったり合う旋盤の製作を手掛けたことが工場機械参入のきっかけだった。現在では「技術のオークマ」と呼ばれるほど技術力に定評がある会社として知られている。「ないものはつくる」という文化のもと、複雑で大型のマシニングセンタなどに強みを持っている。とくに門型といわれる大型の加工機で知られ、船舶や航空機、自動車、風力発電装置などの大型製品の製造向けに強みがある。
 また近年はEV向け製品や半導体製造向けの加工機にも力を入れている。どんな仕上げにするためにどんな加工をすればいいかを、加工条件を検索して判断できる「加工ナビ」機能や、温度変化による加工のズレを制御する「サーモフレンドリー」機能などの知能化技術は、業界に先駆けた技術として高い評価を得ている。生産拠点は日本国内と台湾、中国にあるが、できるだけ国内生産に集中させ、生産性の高い工場づくりを目指しているのも特徴。2013年には究極の生産性を目指した24時間週7日稼働の夢工場、「ドリームサイト1=DS1」を完成させている。創業時からフライス盤メーカー海外売上比率8割、牧野フライス製作所
 工作機械BIG3から外れるが「牧野フライス製作所」も、工作機械メーカーとしては世界的に知られたメーカーだ。一般的な工作機械は、ワークと呼ばれる金属の材料を専用のドリルやエンドミルと呼ばれる刃物を回転させて削っていくが、牧野フライス製作所が製造するフライス盤はフライスと呼ばれる刃物の集合体(円盤の周囲に複数の刃物をつけて金属を削っていく)を使うことが特徴で、刃の形や取り付け方でさまざまな加工を行う。
 同社は他社のように他の製造機器の転用から始まったのではなく、1937年に創業者の牧野常造さんが、縦型フライス盤を自作したことが始まり。高剛性の合金や炭素繊維など高硬度の難削材と言われる部材を高精度で加工することで知られる。他の工作機械メーカーと同様に海外展開に積極的で、1970年代にアメリカに現地法人を設立して以降、北米、欧州、東南アジア、南アジアに事業展開しているが、海外売上比率がコンスタントに8割前後を占め、海外市場に強い工作機械メーカーのなかでも頭1つ出ている。また海外進出と同時期にワイヤー放電加工機などの新たな加工機の開発を進めている。
 新しい加工法や旧来加工法とのハイブリッド化は牧野フライスに限ったことではない。工作機械の場合は、顧客が求める材質と精度ありきで開発が進むのが特徴で、さらに加工条件をどう設定するか(温度、湿度、振動、クーラントといわれる切削油など)に加え、どの刃を使うかで精度が変わってくるのが難しいところ。このため匠の技を持つ中小の町工場では、刃を自作するケースもある。
 またIoT化、DX化の急進により、単に精度だけでなく、使用するCADとの連携、加工途中のデータの取得や補正などを一連のデータ管理のなかで自動的に行うことが求められるようになっている。

3. プラント
 —資源小国の日本を支えてきた民間外交官集団

<2022年度売上ランク>
①日揮─6066億円
 (受注残高1兆5634億円)
②千代田化工建設─4301億円
 (受注残高1兆1488億円)
③東洋エンジニアリング─1929億円
 (受注残高3991億円)

都心ではマンションが高騰し、不動産バブルの声もあがっている。大型の再開発も進んでいる。その一方で市場の縮小を見越して、建設業界の海外シフトも確実に進んでいる。政府も鉄道や水道などインフラ関連企業や行政などとパッケージ輸出を推進しており、期待が高まっている。ただ建築基準などが国や地域で違うため、たとえ大手ゼネコンと言われる建設会社でもなかなか海外での仕事の遂行は難しいもの。とくに中東やアフリカなどでは政情不安も重なり、工期の遅れや代金の未払いなども発生する。
 こうした海外における建設事業で一日の長があるのが、プラント専業会社だ。建設業界と少し違い、設計から資機材の調達、建設まで一貫して請け負う「EPC」が特徴。
 その国のエネルギー施設や石油化学プラントなど、生産設備の建設を手がける。代表的は、「日揮ホールディングス」「千代田化工建設」「東洋エンジニアリング」がある。

アルジェリアが
飛躍の舞台だった
日揮ホールディングス

 最大手は1928年創業の日揮ホールディングス。当初の設立目的は製油所の経営で、そのためにアメリカの「ユニバーサル・オイル・プロダクツ」から、ライセンスを導入するも、諸事情から断念し、製油所の建設を始めたことがきっかけ。こうした経緯もあり、日揮は石油化学プラント関連の受注が多く、また近年ではLNG(液化天然ガス)の受注が増えているほか、クリーンエネルギープラントの建設に積極的だ。
 日揮が話題となったのは、2013年に起きたアルジェリア人質事件。この事件ではアルジェリアのプラント現場がイスラム武装勢力の襲撃を受け、日本人17人を含む多数の人々が人質となって、日揮社員7人が犠牲となった。こうした紛争リスクの高い現場でのプラント建設では当然のことながらリスク管理が徹底していないと事業が進まない。当時は同社のリスク管理に対する疑問も出たが、日揮はもともと国境なき医師団ならぬ、「国境なき技術団」を標榜し、世界80カ国以上、2万件のプラントプロジェクトを実現したノウハウがある。とくにアルジェリアは日揮との関連が深く、1970年代に多くの案件をアルジェリアで受注したことで、灼熱の砂漠でのプラント建設のノウハウが蓄積され、同社の飛躍のきっかけとなった。土地勘もノウハウも十分あったのにもかかわらず、残念なことに事件は予測できなかった。
 ただ日揮はこの事件をきっかけにリスク管理を更に進化させている。またコストダウンの取り組みにも積極的に取り組んでおり、最近では機能単位に分割したプラント建設を展開、日本から大型船で運搬し、建設地で組み立てる、いわば大きな「プレハブ工法」で事業を展開している。また水処理プラントなどで知られる荏原とともに総合水道会社を設立するなど、水ビジネスや海洋資源開発に積極的に投資をしている。

サウジアラビアの9割の
石油プラントを手掛けた
千代田化工建設

 千代田化工建設は三菱商事系のプラント会社として1948年に誕生した。最初は国内石油化学プラントで実績をあげていき、その後中東に進出している。とくにサウジアラビアとの関係は深く、80年代には同国で建設された石油プラントの9割を占めたと言われるほど、同国との関係が同社を飛躍させた。しかしその後はプラザ合意で円高が一気に進むと海外での相対的な競争力が弱まり、倒産の危機に瀕したこともあった。その後世界的な天然ガス開発が進むと再び世界で存在感を増している。その後もLNGプラントなど大型受注が増え、近年は7割がLNGプラント関連の業務となっているが、最近は水素に関連する技術に強みを持ち、大規模貯蔵・輸送技術を開発している。海洋資源開発やバイオ燃料開発なども積極的に進めている。

石油化学、化学肥料系で強みを発揮する
三井物産系東洋エンジニアリング

 一方、1961年に誕生した東洋エンジニアリングは三井物産系で、石油プラントも手がけるが、近年は化学肥料や石油化学関連のプラント受注が増えている。発電設備や交通システムなども手掛けるのが特徴。同社は早くから(1960年代)ブラジルへ進出しており、現地で合弁会社をつくるなど南米でのビジネスを強化してきた。
 こうしたプラント業界がいま狙っているのは、医療系創薬係の施設。iPS細胞やジェネリック創薬など、医療や製薬をめぐる環境は大きく変化しており、化学プラントを手がけてきたプラント会社にとってもノウハウを活かしやすいというのがその理由だ。さらにいずれの企業も力を入れているのが、水素やアンモニアなどカーボンニュートラル、カーボンマイナス関連の施設。カーボンニュートラルは化学メーカーにとっては自社の技術を活かすまたとないチャンスとなっており、そのためにCO2を出さない新たなプラントの建設が求められる。当然プラント会社にとってもビジネスチャンスであり、専門家としてのノウハウが求められるところだ。

4. ハム・ソーセージ
 —トップ日本ハムに迫る他社連合の行方

<2022年度売上ランク>
①日本ハム─1兆2597億円
②伊藤ハム・米久ホールディングス─9226億円
③プリマハム─4307億円
④丸大食品─2219億円

長年トップを走ってきた
日本ハムの地位を奪い取った
伊藤ハム・米久連合

 国内のハム・ソーセージメーカーの数は個人商店に近い形態を含めると無数にあるといってよい。ただ日本ハム、伊藤ハム・米久ホールディングス、プリマハム、丸大食品の4社グループで市場の7割を占めている。
 そのなかでも唯一プロ野球球団をもっている「日本ハム」は売上で長年競合を圧倒してきた。しかし2016年に「伊藤ハム」と「米久ハム」が経営統合。売上高9000億円超を誇る企業となり、ハム・ソーセージ部門ではシェアトップに立っている。一般消費者向けのハム・ソーセージを得意とする伊藤ハムと、業務用ハム・ソーセージを得意とする米久ハムが組むことでシナジーを生み出すことが統合の狙いだったが、狙いは成功したようだ。この二社を取り持ったのは三菱商事で、この統合により伊藤ハム・米久ホールディングスが、三菱商事の資本を受けている「日本ケンタッキー・フライド・チキン」への材料の鶏肉提供も可能になった。
 ただトップの日本ハムの企業としての総売上は1兆2000億円を超す。その差はまだある。
 ハム・ソーセージメーカーでは有力メーカーとして「プリマハム(4307億円)」、「丸大食品(2219億円)」があり、今後さらなる合併や統合が続く可能性もある。

川上戦略と川下戦略で
分かれた売上高

 実は1980年頃までは日本ハムと伊藤ハム、プリマハムにはこれほどの差はついていなかった。売上高はプリマハムが約2000億円、伊藤ハム、日本ハムが約2800億円程度で均衡していた。しかし70年代から各社の事業戦略が変わっていったのだ。
 日本ハムは川上戦略を取り出した。原料となる牛や豚や鶏の育成事業に取り組んだのだ。73年には国内で食肉の生産から処理までの一貫体制を確立し、77年には海外の生産会社を買収、肉の生産から加工、食卓までの海外ルートを築いた。時代に先駆けてグローバルビジネスへ舵を切ったのである。日本ハムはほかにも冷凍食材や水産物、乳製品なども手がけており、ハム・ソーセージメーカーというより、総合食品企業として業容を伸ばしている。
 他方、伊藤ハム、プリマハムは、川下の事業を拡大していった。肉の加工度を高め、商品ラインナップを拡大し、またサンドイッチや惣菜を売るデリカテッセン事業など新業態も展開していく。いずれも会社の売上の拡大に貢献したが、1991年の牛肉の輸入自由化が各社を襲った。ここから保存性の高いハムより、新鮮でおいしい肉へのシフトが始まり、プリマハムは赤字に陥ってしまう。一方日本ハムは、海外の食肉加工業者や生産牧場などを買収し、サプライチェーンを強固なものにし、競争力をつけていったのだった。ただ伊藤ハム・米久ハム統合が実現した今、トップとして安閑としてもいられない。
 ちなみに伊藤ハムは読売巨人軍のスポンサー企業、プリマハムは楽天イーグルスのスポンサー企業である。また米久は、タレントのタモリさんを名誉会長とするヨットレース、「タモリカップ」を主催している。主力商品以外でも熱い闘いが続けられているようだ。

5. ドラッグストア
 —知らず知らずに増えていく、新しい日本のインフラ

<2022年度売上げランキング>
①ウエルシアホールディングス─1兆1442億円
②ツルハホールディングス─9700億円
③マツキヨココカラ&カンパニー─9512億円
④コスモス薬品—8276億円
⑤サンドラッグ—6904億円

とにかく変化が目まぐるしいのが、この数年のドラッグストア業界だ。トップが毎年のように入れ替わっている。
 日本にドラッグストアという形態が生まれたのは1970年代だと言われている。規制に縛られた街中の薬局や薬店が、市販薬を従来の薬局・薬店より安く売ることで人気を集め、さらにトイレットペーパーや飲料水などの日用品や消耗品など、幅広い商品を扱うことで業容を拡大していった。現在はコンビニエンスストアやスーパーなどと提携したり、立地も駅前から、郊外の幹線道路沿いなどに広大な駐車場を備えた店舗も増えている。
 人口減少で市場縮小も懸念されているが、コロナ前は訪日外国人などの旺盛な購買に支えられて売上も店舗数も増えていた。コロナ下ではマスクや解熱剤、PCRキットなどコロナ関連商品が売上を下支えし、コロナ下でも店舗数も売上げも伸ばしている。
 全国のドラッグストアの店舗数は、2023年1月時点で2万5093店で、これは2024年2月末時点でセブン-イレブンの2万1535店をも凌ぐ。売上規模も8兆7000億円を突破している。
 ただ成長は鈍化しており、M&Aも盛んに行われている。2016年には、売上トップを走ってきたマツモトキヨシが、果敢にM&Aを仕掛けて伸びてきたウエルシア薬局にトップの座を明け渡した。以後合従連衡は続き、マツキヨは21年9月には6位にまで沈んだが、10月に神奈川が地盤の業界7位のココカラファインとの統合を発表し、2位まで再浮上した。その後ドラッグストアチェーン上位3社の売上高は9000億円台で拮抗していたが、22年に1位のウエルシアが1兆259億円と1兆円を突破し、市場の約8分の1を占めるまでとなった。さらに2027年末までの経営統合を発表し、一気に2兆円規模のドラッグストアチェーンが出現する。これはドラッグストア業界のみならず、スーパーやコンビニにとっても脅威となってくる。ドラッグストアチェーンの中には、食品や文具、日用品などのほか生鮮食品を扱う店も増えているからだ。
 一方、調剤薬局も落ち着いてはいられない。22年から調剤報酬が改正され、報酬が下がっているため、今後は調剤薬局チェーンとドラッグストアチェーンが提携・統合する可能性もあり、しばらくはホットな駆け引きが続くと予想される。

統合、提携で
全国チェーンを展開、
イオン系のウエルシア薬局

 マツモトキヨシと長年鍔迫り合いを続けてきたウエルシア薬局は大手スーパーのイオンが株式を51%所有しているドラッグストアで、イオンモールなど、イオン系列の店舗を中心に出店している。イオンとの提携は創業から3年後の2000年で、まだ「ジャスコ」という名前だった時代に行っている。
 ウエルシアの母体の1つである東海地方にあった「高田薬局」というチェーン薬局は、一時期マツモトキヨシのチェーンに属していたこともあった。しかし物流効果が現れないことや、他のドラッグストアチェーンと共同仕入れ契約などを結んだりしたため、提携を解消。埼玉県を中心にドラッグストアチェーンを展開してきたウエルシアと共同の持株会社を発足させて、現在のウエルシアの原型をつくった。ある種マツモトキヨシとは因縁の仲でもある。その後は、「ナガタ」、「寺島薬局」、「タキヤ」など地方の有力ドラッグストアを傘下に収める形で拡大していった。2015年には、静岡県、神奈川県で「ハックドラッグ」を展開する「CFSコーポレーション」が傘下に入り、マツモトキヨシを上回る売上になると勢いを加速。またイオンは北陸地盤の「クスリのアオキ」の筆頭株主にもなっており、今後もこうした積極的なM&A策で業容を拡大していく模様だ。
 イオン系ということもあり、店内にはイオンのプライベート商品が豊富に揃っていることも特徴だ。

実はイオン系、ドミナント方式で
店舗を増やしてきた
北海道地盤のツルハドラッグ

 売上2位は1975年に札幌で創業した「ツルハドラッグ」。セブン-イレブンなどコンビニが取り入れている、地域に集中的に出店する「ドミナント方式」で、北海道や東北で店舗数を拡大してきた。ツルハドラッグは早くからプライベートブランドの商品を投入してきたことでも知られており、プライベートブランドの売上は長らく業界トップの実績を誇っている。
 ツルハドラッグは北陸地盤の「クスリのアオキ」の株式を5%所有しており、また四国でトップの「レデイ薬局」の株式を51%を所有し、子会社化している。実はツルハドラッグにもイオンが13%の出資を行っている。つまり、ウエルシアもツルハドラッグも表向きはライバル関係にあるが、子会社などを通じて株式を持ち合ったり、資本提携でイオン系ドラッグストア連合を築いてきたのである。経営統合は当然の流れなのかもしれない。

20年間トップのマツキヨ。
明るいイメージ、大胆な販促で
ドラッグストア業界を牽引

 ドラッグストア業界を牽引してきた「マツモトキヨシ」。20年間売上トップを維持して、女子高校生が“マツキヨ”の名前で呼ぶほどその知名度はいまでも抜群だ。マツキヨは創業者である松本清さんが23歳の時に個人薬店を常磐線沿線の松戸市に開いたことがきっかけ。「常磐線沿線で薬局のない街を選んだ」のがその理由。当時から空箱を積み上げて商品の豊富さをアピールしたり、店頭で猿の見世物を行うなど、かなりアイデアマンだった。何よりインパクトがあるのがその店名。名字を店舗や会社名にする例は多いが、フルネームを店舗名にするのはかなり異例だった。1987年には東京都内の上野アメ横に都市型店舗を出店。アメリカのドラッグストアのスタイルを本格的に導入。入りにくいという店内を照明で明るくし、化粧品などのテスターを置いて楽しく買い物ができるエンタエンタテインメントの要素を加えていった。93年には千葉県柏市にロードサイドタイプの店舗を初出店する。95年には売上高、業界No.1にとなったが、店舗展開は自社開拓で行ってきており、フランチャイズは2005年になってから。近年は駅ナカなどにも進出し、立地に応じた店舗展開を図るほか、プライベートブランドの開発にも力を入れてきたが、一方でウエルシアをはじめとする果敢なM&A戦略によってその地位をずるずると下げてきた。
 マツキヨも果敢にM&Aを仕掛け、首都圏の「ぱぱす薬局」、札幌地盤の「サッポロドラッグストアー」、関西の「キリン堂」などを傘下に納めているが、他社の動きはそれをも上回った。
 意外なようだが、大手ドラッグストアチェーンはいずれも海外進出に積極的で、市場縮小を見越して10年以上前から東南アジアを中心に、出店している。関西が地盤の「キリン堂ホールディングス」が12年に中国に、ツルハホールディングスが12年にタイに、旧ココカラファインが12年に中国に、住友商事系の「トモズ」が12年に台湾に進出。旧マツモトキヨシホールディングスも2015年にタイに初店舗を出している。またマツモトキヨシホールディングスは中国ナンバーワンネットモール、アリババにも出店している。今後は日本のドラッグストアの海外での合従連衡が繰り広げられるかもしれない。
 いかがだろうか。ふだん何気に利用しているチェーン店や、あるいはほとんど知らない業界を深掘りすることで、新たな発見があったのではないだろうか。同じ業界でも売上の構成や各社のこだわりを見ていくことで、自社に役立つ視点が養えるはずだ。

【参考】

【書籍】
『図解!業界地図2024 年版』 ビジネスリサーチ・ジャパン[プレジデント社]
『2024 年版日経業界地図』 日本経済新聞社編 [日本経済新聞社]
『会社四季報業界地図2024 年版』 東洋経済新報社編 [東洋経済新報社]
『トヨタ経営システムの研究』 日野三十四 [ダイヤモンド社]
『駆け抜けたホンダウエイ』 小林隆幸 [口伝舎]
『日本100 大企業の系譜』 菊池浩之 [メディアファクトリー]

【参考サイト】
「ダイヤモンド・オンライン」サイト 「東洋経済・オンライン」サイト 「日経ビジネス」サイト 「日本経済新聞」サイト 「プレジデント・オンライン」サイト 「経済産業省」サイト 「MAC アドバイザー」サイト 「mono ist」サイト 「薬剤師の研究室」サイト 「トヨタ自動車」公式サイト 「本田技研」公式サイト 「スズキ」公式サイト 「オークマ」公式サイト 「ヤマザキマザック」公式サイト 「DMG森精機」公式サイト 「ファナック」公式サイト 「ヤマザキマザック美術館」公式サイト 「日揮」公式サイト 「千代田化工建設」公式サイト 「東洋エンジニアリング」公式サイト 「日本ハム」公式サイト 「プリマハム」公式サイト 「伊藤ハム」公式サイト 「米久」公式サイト 「マツモトキヨシホールディングス」公式サイト 「ウエルシア薬局」公式サイト 「ツルハホールディングス」公式サイト

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