世界で広がる動物の福祉思想「アニマルウエルフェア」とは?
新型コロナ感染症で注目された言葉にWell-being(ウエルビーイング)がある。直訳すれば「良い生き方」だが、急激な生活の変化に対応できずに精神や体調を崩してしまう人が増えたことで、改めて注目されている考え方だ。
目次
人間だけでなく、動物にも福祉を!
ウエルビーイングを実現していくためには、本人の健康状態に加え考え方や社会的に置かれた環境などがより良い方向に向かう必要がある。とくに働き方改革が進められるなか問われるのが、社会福祉環境である。テレワークが一般化する状況下では、仕事現場は、会社のオフィスや工場、建設、メンテナンス現場だけでなく、家庭も含まれる。そのため従来対象となっていた福利厚生の範囲を社員の家庭まで広げる必要も出てきた。福利厚生が充実している企業は「ホワイト企業」として、若い人からも人気となっている。
ジェトロが2018年10月に出したレポート「ニューヨークだより」では、アメリカにおけるミレニアル世代が企業に感じる魅力の優先順位として、1番目のキャリアップの機会に続いて、2番目が社会への貢献、3番目が柔軟な勤務体制、4番目にヘルスケア及び家族に関する福利厚生を挙げている。ワーク・ライフ・バランスや福利厚生への関心の高さが窺える。
充実した福利厚生が社員のやる気やロイヤリティを高めることに繋がり、その会社の成長を促すのだ。
こうした人間のウエルビーイングの充実を図る動きは、近年動物においても高まっている。アニマルウエルフェアと呼ばれる動きがそれである。
アニマルウエルフェアは「動物福祉」あるいは「家畜福祉」などと訳される。
似た考え方として動物愛護や動物保護といったものがあるが、使役家畜などの虐待や動物実験などの規制などから発展したもので、いわば最低限度の命の尊重を意味する。
これに対してアニマルウエルフェアは、感受性を持つ生き物としての家畜やペット、その他の動物に対して心を寄り添わせ、誕生から死に至るまで、ストレスをできる限り少なく、行動欲求が満たされた健康的な飼育のあり方を目指す考え方。
現在世界各国が取り組むSDGsやESG投資の観点からもこのアニマルウエルフェアは注目されている。
イギリスで始まった
アニマルウエルフェアの基本「5つの自由」
アニマルウエルフェアのアイデアが誕生したのは、動物愛護運動を世界に先駆けて展開してきたイギリスとされる。
きっかけとなったのは、1960年に出版されたルース・ハリソンの「アニマル・マシーン」。劣悪な環境のなかで飼育される家畜の状況を暴いたこの本により、各地で農家や肉屋が焼き討ちに遭うなど、社会問題化した。これに反応したイギリス政府が専門委員会を立ち上げ、「すべての家畜に立つ、寝る、向きを変える、身繕いをする、手足を伸ばす自由を」実現するための基準を提唱。劣悪な飼育環境を改善させてウエルフェアな状態確立のために5つの自由を謳ったものだ。
1)空腹と渇きからの自由
2)不快からの自由
3)痛みや傷、病気からの自由
4)正常な行動を発現する自由
5)恐怖や苦悩からの自由
この5つの自由は、家畜だけでなく、ペットや実験動物、育成動物、動物園などにおいてもあらゆる動物のウエルフェアの指針として、世界に広まっていった。とくに畜産においては影響が大きく、日本も加盟している国際獣疫事務局(OIE)がこれを採用し、加盟国に対し勧告している。
しかしながら、こうした5つの自由はなかなか守られておらず、たとえばメガフードチェーンなどは、光の当たらないような狭いケージのなかで、本来望まない栄養剤、ホルモン剤などを摂取され、短期間で育成された鶏や豚などを大量に買い上げることで価格を抑制、均一低価格なメニューを提供する状態が続いていた。
アメリカでは22年1月から
世界一厳しいアニマルウエルフェア法が施行
1つの流れを作ったのは米国だ。
世界に先駆けた法律を実施する米国カリフォルニア州では、2018年に住民投票で家畜を拘束して飼育することを禁じる法律が可決。2022年1月より、施行されている。世界で最も厳しいとされるこの法律では、豚が1頭2.22平米、鶏はケージフリーでの飼育面積が決められ、それを下回る環境で飼育された肉や卵の販売は禁止される。
カリフォルニア州では、すでに2012年からフォアグラの販売・生産を禁止している。フォアグラはガチョウに強制給餌して肝臓を通常の10倍程度まで肥大させた食材で、世界中の美食家が憧れるフランス料理の定番だ。
こうした動きに対して、フランスのフォアグラ生産者が「肝臓を肥大させる課程において苦痛を与えてはいない」と反発している。
一方フォアグラについては、フランス国内でも非難が高まっており、2021年12月からはストラスブールやリヨン、グルノーブルなどの地方都市では、公式行事にフォアグラを使用しないことを決めている。
フランスでは再来年から
店頭で犬・猫が買えなくなる
アニマルウエルフェアの動きは、ペットにおいても急速に広がっている。イギリスでは生後8週間未満の犬、猫の販売が禁止され、ドイツでは犬のサイズごとに飼育スペースが決められている。米国カリフォルニア州ではペットショップでの販売は保護施設から受け入れた犬、猫に限られる。またフランスでは2024年から犬・猫の店頭販売を全面禁止する。
欧米各国にとってはかなり英断だと言える。というのもたとえば、フランスでは世帯の半数以上がペットを飼っているからだ。ただ一方で年間10万匹が捨てられているのも事実。理由は長いバカンスである。バカンス中は飼育できないので捨ててしまうのである。またこの2年はコロナ禍の影響で在宅勤務が増え、ペットを飼う人が増えたが、規制緩和により、世話ができなくなり、捨ててしまうケースが一層増えた。
ニッポンハム、味の素、キューピー…
続々とアニマルウエルフェア基準を導入
こうした世界的潮流を受け、日本でも農水省などがアニマルウエルフェアに基づいた飼育の推奨などを行っているほか、食品メーカーなどもアニマルウエルフェアを考慮した飼育や、その飼育法に準じた購買を進めている。
食肉大手のニッポンハムは、家畜をストレスのない環境で育成する「アニマルウエルフェアポリシー」を制定、パートナー企業と協業で2030年度末までに種付された雌豚を1頭ずつ拘束して飼育する方法を廃止するなど、重要課題の実現を決めている。
また食品大手の味の素はグループ会社全体で、「原料調達におけるアニマルウエルフェアの考慮」、「畜産に関わるサプライチェーンのパートナーやステークホルダーとの対話と連携」、「畜産原料の有効活用・代替に向けた技術開発」「生活者とのアニマルウエルフェアに関するコミュニケーション」、「アニマルウエルフェア向上の取り組みに関する情報開示」などのアクションの展開を発表している。
またマヨネーズで知られるキューピーでは、「アニマルウエルフェアの考え方に対応した採卵鶏の飼養管理指針」に基づき、飼養された鶏卵の調達を行っている。
国内畜産業界では2016年に一般社団法人アニマルウエルフェア畜産協会が設立され、基準を満たした農場や食品に対し認定農場、認定食品としてのお墨付きを与えている。
卵は価格の優等生を維持できるか
こうした取り組みのなかで揺れているのが鶏卵業界だ。日本の卵は長年低価格を維持しており「価格の優等生」とも言われてきたが、近年飼料や原油価格の高騰などで価格がじわじわ上がっている。その背景の1つにはこのアニマルウエルフェアがある。
日本の鶏卵が低価格であるのは、鶏がケージで入れられて管理されているからだ。ほとんどが「バタリーケージ」と呼ばれる方式で、20センチ四方のケージに入った鶏が卵を産むと鶏の手前の網目のゾーンに転がり、取り出すことができる。
糞は網の隙間から落ちるため、卵が汚れてサルモネラ菌などに侵されるリスクも少ない。またこのバタリーケージ式では鶏がケージからほとんど動かないため、カロリーを消費せずエサ代もかからない。生産効率の高いシステムなのである。
しかし、この方式は先の5つの自由からは離れており、アニマルウエルフェアが考慮されているとは言えない。このためケージレス、ケージフリーで養鶏する農家が増えつつある。ケージレスであるため、鶏にとってはストレスフリーで健康的、かつ運動量も確保できる。他方エサの量が増え、また卵を産む場所が一定しないので、採卵コストが高くなる。このためケージレスの鶏から採った卵はケージで育てられた卵の2倍ほどの価格となるのが一般的だ。
日本でもペットで犬や猫が買えなくなる?!
世界にアニマルウエルフェアの認識が広まるなか、とりわけ欧米に比べて対応の遅れが指摘されているのが、ペットだ。希少種の動物を違法に輸入して売買する例は後を絶たないが、とくに問題視させているのは、身近な犬や猫だ。日本では基本的に誰もがペットショップで気に入った犬や猫を買うことができる。その反面、捨てられる数も多い。飼育者と離れ離れとなった犬猫は、最終的に殺処分される。動物愛護団体の広報活動などもあって、この10年、殺処分数は減っているが、それでも1日65頭の犬猫が殺処分されている(2020年度 環境省調べ)。
ペットの殺処分は、アニマルウエルフェア以前の段階だが、その前段としてペットショップで手軽に買えるような環境が問題視されているのだ。殺処分は出口の問題だがペットショップは入り口の問題だと言える。
最近はアニマルウエルフェア団体が先導して、その考え方や行動の浸透を図っているが、欧米のようには進んでいないのが実情だ。
ただ、いまACジャパンが日本動物愛護協会の活動を支援する形で、一時的な衝動でペットを買うことを抑制するCMなどを流しており、従来のように「お金を出せば誰でもペットが飼える」時代ではなくなりそうだ。
コロナ禍、そしてウクライナ侵攻で改めて痛感させられている命。決して人間だけの問題ではない。